「株式会社おぼうさんどっとこむ 代表 林 数馬」さんのありがとう:MARTHのLast Resort

「株式会社おぼうさんどっとこむ 代表 林 数馬」さんのありがとう

何度も何度も何度も繰り返し読んでいます。今、ちょうど、私に必要なタイミングで、『ゆるし塾』手元に来てくれました。信じて来た仲間に、どうして無視されるのか?わからないまま、不安の中にいました。。。紹介してくれた方は、すべてであるわたしたちを通して、今、必要だと、この人にゆるし塾必要だと伝わったんだと思うと、うれしくてうれしくて有り難くて、涙しながら何度も何度も何度も読み返しては泣いています。こんなにも素晴らしい涙を流したのは、自分でもいつ以来かわかりません。そんな渦中に、友人の自死未遂で苦しんだ様を知り、自分の気づいてあげられない、通じてあげられていない現実に、情けなくもなっておりました。違うんですねそんな自分をゆるすこと、認めることで、離れていない宇宙の中のわたし、自然の中のわたしを、感じ、観じてという経験を授かり、与えられるのですね。自分の至らなさと相手の行ないに、なぜ?と問いかけ続けていましたが、ゆるし塾を読み返すうちに、こわばった心がほどけ出すというのか、抱えていた不安がスッと軽くなり出しました。まだそこ、不安に、怖れに、戻ろうとする自分が完全にはいなくなってはいませんが、それでいいと思えるようにはなりました。人は諍うためになど奇跡の出遇いをさせてはもらえません。

なぜこんなことで?と、今なら笑えることに、なぜか反応してしまうわたしがいました。。それすらも今からは楽しもうと、有難いことと、思えるようになりました。私の父は、聴覚障がい者でしたが、要らぬことが耳に入らぬからか、、いつも、誰に対しても、何に対しても、「ありがとう」が口グセでした。その父の、ズルいところ、怠けているところ、怖いところにも触れて生きて来ましたが、父の亡き後に残っているのは、優しさや温かさ、強さ、そして恒に「ありがとう」と言っている姿しか出て来ません。父が贈りものとして遺してくれたのは、くしくも「ありがとう」だったんだと、握りしめた手のひらを、天に地に向けながら、また感謝、ありがとうでしかないのです。ゆるし塾の必要な方は、まだまだ多くいらっしゃると思います。わたしも大いなる地球の、小さな一粒種として、ゆるし塾を弘めて、わたし自身をゆるしながら、この命を、生きて、歩んで参りたいと存じます。言葉足らず、言葉調わずは、ご愛嬌(^_^*)と、笑っておゆるしくださいませ。引き続き、思い出せるよう、自分と世の中と関わって行きたいです。本当に本当に、本当に必要なタイミングで、ゆるし塾との出遇いをありがとうございました!わたしの愛、歓び、感謝を込めて、この先を愉しみ、生きて死にます(^^)

多謝九拝