人の不安や恐れ、苦しみの原因とは:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

人の不安や恐れ、苦しみの原因とは

MARTH
公開日:2020-03-22 16:34

Q:MARTHさんにお尋ねします…。

世界は大変なことになっていて、何がどうなっているかわからないくらい、大変心配で不安です…。

当然パンデミックのこともそうですが、それ以外の支配の世界の状況につくづく嫌気がさしています。何かサジェスチョンをいただけないでしょうか…。


MARTH:

今は自我にとって大変なネガティブな状況であることでしょう。それゆえにこそ、その状況を逆手に取り、自らを大きく美しく成長させることのできる最大のチャンスに変えることができるでしょう…。では、まず少しやってみましょう…。

不安や恐れ、心配、さぁ、それは、本当は「誰」に起こっているのでしょうか…。それは、「私」という自我であることでしょう…。そして自我とは、万物から独立して存在すると信じた“一体”から分離した観念にすぎません…。

私たちは、その一体物から分離した“自我”を自分だと本気で信じています。万物から分離した、神から分離したと信じた、愛から分離したと思い込んでしまったため、できあがってしまった自我は観念です…。要するに、万物森羅万象全体から分離したと強く信じ、自我が本当に存在すると深く思ってしまっているともいえるのかもしれません…。そして分離を信じ、それに(私に)なったと本気で思ってしまっているのが今の人類の現状であることでしょう…。

そうとは知らず、それに(自分に)なったまま道を歩き、それに(自我に)なったまま悩み、それになったまま行動してしまうことでしょう…。自らを万物から分離した自分(自我)だと思い込んでしまったままでです。

ですから、自我(部分となった)のあらゆることで苦しみ、あらゆることで心配し、あらゆることで悩み、そこから戦い、比較し、自我の安定のために支配することでしょう。すべてそれは自我の恐れや苦しみ、悩みであって、自我の悲しみであり、自我(分離)の恐怖なのです…。

しかし、科学的には本当の自分というのは分子だけではなくすべて素粒子でできている、一体なる美しき万物であり、すべてとつながっている森羅万象です。それは真我とも呼び、本当の自分、真の自己は、真我・大我・万物であるといってよいのでしょう…。

要は、自我というのは思考がそう感じた、そう作った妄想でもあり、分離した私というものは本当はそもそも存在しないのです。それに気づくとき、人は無我性を得、真に善良となり、美しき進化から真の安らぎを得ることでしょう。そこからしか、美しき真のリーダーの方は生まれないことでしょう…。では一体何が存在しているのだと聞かれる方もいるかもしれません…。その答えは万物全体の一部である、本当は美しき存在であるということであり、私たちの真の実体は真我、森羅万象、素粒子でできているそれそのものといえ、それを神の子と呼ぶのならば、神の子でもあり、神そのもの、ともいってもよいでしょう…。

もしあなたが万物そのものとして、真我そのものとして道を歩いているなら、あなたはその部分(自我)では決してないのです。自我ではなく万物全体であるのです。

部分でないのですから、あなたの部分に起こってきたあらゆる悩みや、あらゆる苦しみや、あらゆる不安から解放され、心配事は自然と消えていってしまいます。科学的には、あなたは、本当は素粒子でできている万物の一部なのです。森羅万象そのものとして日々生きるなら、森羅万象の子として、途方もない至福の生となることでしょう…。森羅万象の一部として生きるなら、森羅万象から見るならば、あなたは自我ではありません。美しき人である、部分ではないのです。部分に起こってくるあらゆる悲しみ、つらさ、苦しみ、恐れ、不安、心配は思考の中であり、人間の細胞さんが独立して存在すると誤って思い込むことと似ています。それゆえ、一体に深く気づくのなら、自我の信念はすべて妄想となって消え去ってしまうのです。そのとき、あなたは全人類にとっての素晴らしき愛の人となることでしょう…。素晴らしきリーダーともなることでしょう…。

それゆえに、真の至福の生、本当の無我的安らぎを取り戻すためには私などいないと気づいてよいのです…。

もし、分離した自我を本当の自分だと思うならば、あらゆる自我(部分)の苦しみ、つらさ、不安にさいなまれ、恐れから、人は行動してしまうことでしょう…。そうであるなら、きっと本当はあなたに天が用意していた、美しき安心した本当の人生を歩むことができず、争いや過信、うぬぼれ等々の自我特有の生で苦しむこととなるでしょう…。

ですから、人間界の苦しみというのは、ある意味すべて分離に起因するといってよく、分離しているという観念こそが、至福を失う要因であり、苦しみと自我を生んだ元でもあるでしょう…。

ですから、私などいない、私など存在しない、私など生きていない、私など生まれていないという深き気づきが、人を真に癒し、美しき安心感を取り戻す最善なことでもあり、それこそが素粒子の海それそのものである人類の隠された法であり、真実なのです。

じゃあ一体何が、誰が生まれたのだ、と聞く方もおられます。そしてその答えは、あなたは本当は万物そのものです。自我は、分子は一体である万物の一部にすぎないのです。だったら何が生きているのだ、とまた聞かれます。その答えは森羅万象の一部です。では私は一体誰なのだの答えは、愛ある、愛の現れである万物そのものであるのです。仮に万物そのものの意識から、天から地上で部分(自我)が動いているのを見るなら、宇宙の大きな視座から自我を見るときに、自我の恐れや不安は小さきこととなってしまいます…。

ですから、人類の苦しみを生む妄想とは、分離であり、自我なのです。自我(分離)こそ、あらゆる苦しみの元であり、不安の元であり、心配の元でもあるのです。それゆえに、古代から賢者やブッダたちは、無我や無心、無私を伝え、自我の終焉を伝え続けたのです。

あなたが万物そのものなら、そう気づいて生きれるのなら、森羅万象を生み出している素粒子そのものとして、分子をこえて生きることができるなら、あらゆる自我にとっての苦しみの状況の中でも、愛をつらぬいて、生きれるのです。その時は仮に星が落ちようと、地球が破滅しようが、愛を失うことなく、逆境で生きる苦しみもさほど大きなものではないとも感じることができることでしょう…。それはあなたが本当は万物そのものであるからです。永遠なる素粒子の海、とてつもないそのものこそが、本当の自己(あなた)であるからなのです…。

MARTH
2020年3月21日

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