人類が本来の一体性への気づきをもって生きるとき:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

人類が本来の一体性への気づきをもって生きるとき

MARTH
公開日:2020-05-26 12:14

Q:MARTHさんに質問です…。私は、真に成功したいし、真に豊かになりたいです。真に持続可能な繁栄とMARTHさんがおっしゃっているようなものを手に入れたいとつくづく思います…。

どのように生きれば、それが手に入るとMARTHさんは思っていらっしゃいますか?


MARTH:

まず、そのご質問に当てはまっているかどうかわかりませんが、ある村。エリアというかジャングルの中に、分離のない村。または一体の愛の、神々の法則にのっとった村があったとしましょう。

すべてがひとつなる素粒子の海のような村。一体なる真我なる村。

そこに、もし分離を信じた自我観念世界の方たちがやってきたとします…。

しかし、その方たちは、元々はそこの村出身であるのですが、それを忘れているというように設定しましょう…。


そして、その方たちがそこで暮らそうとしたときには、分離感や一体性がなく、または強い自我によって、自分が勝つとか、偉くなる、すごくなる、やっつける、騙す、比較競争。そのような自我の分離をすごく信じていたとしたら、あらゆるトラブルがそこで起こることでしょう…。その村で生きてゆくのが非常に苦しみともなってしまうでしょう…。


そして、自らがその村出身で、本当は一体出身であるという、自分の隠された本質が、その背景にあります。

そしてそう生きない自らを目覚めさせようと、気づかせようと罰することでしょう。そのような状況が、この地球や宇宙であると私は感じます。


ですから、既存の分離の価値観に染まった一般社会が(エゴ社会)、分離社会になっているということは、イコールそのような価値観、観念の世界に知らずしらずに人類が暮らしてきたということであるのです。そして習ってきたものは分離感です。ですから非常に苦しく、つらく、悲しいのは、万物である愛の子どもにとって当然であることでしょう。ですから、この世界では何においても非常にトラブるのは必然であり、様々な問題が、目覚めろという様々な痛みや、様々なメッセージが起こってくるのも当然のことであるでしょう…。


それは、人類にバチと呼ばれてきたものであり、自らを罰するということでもあるのかもしれません。今それが人類の状況だとつくづく感じます。

そして、そのように私たち人類が科学的真実である一体を学んでこなかった。そのようなすべてがつながり、ひとつであるという気づきを持った文化を創り上げてこなかった。そのようにみなが学んでこなかったという結果でもあるのでしょう…。


本当は、愛しき愛でできているすべてのものが一体の村出身で、本来は本質的なすべてとひとつなる愛を持っているにも関わらず、この世界は神の愛の美しき世界である中で、長い間それを知らずに習ってこれなかった、学んでこれなかったとしたら、どうであったのでしょう…。

そこから、様々なブレイクダウンや、様々なトラブル。様々な苦しみや、自らを罰するようなことが沢山起こってきていないか…。それを科学的に検証してみなくてよいのでしょうか?

そのように感じてなりません。

逆に、その村で幸せに生きれる法則、そのような世界で素晴らしく、つらいメッセージもなく、罰することもなく幸せに生きれるのは、ある意味きっと簡単なのです。


本当の自分、すべてとひとつなる美しき自ら、そのことに気づき、そう生きれば、それは可能です…。無我であり、一体性であり、真我に還り、そのような価値観で幸せにずっと暮らすことでしょう。

もし、肉体の細胞が「自分は独立した、オレだ!」というような自我で生きるのではなく、身体全体を支えるその一部だという認識を持って関わり、安らいで生きたなら、そのときには、苦しみのメッセージがやみ、あなたには真の繁栄や、真の至福や、真の喜びや、素晴らしい人生。素晴らしい万物へ贈られる真の成功や、持続可能な本当の繁栄が、また真の豊かさがそこにはあるのではないかと想えてなりません。


もしあなたが本気でそれを手に入れたいと願うならば、虚偽の分離世界の夢から自らを覚まさせ、本来の自分、真の自己、美しきひとつなる本質に還って、万物宇宙の愛の法則に合わせて生きてゆくということではないのでしょうか…。

その気づきの中で、誰もが最も美しく、素晴らしく生きれるのではないのかと、私はつくづく今感じています…。

MARTH
2020年5月26日
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