分離拡大を終える、根本的な解決とは:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

分離拡大を終える、根本的な解決とは

MARTH
公開日:2020-04-17 00:39

Q:MARTHさんにお尋ねします。MARTHさんは、若き日から、世界的心のトレーナーとして活躍されていました。その頃から、存じておりました。あの当時、MARTHさんの口ぐせは「勝つ必要はない。偉くなる必要はない。自己拡大などいらない。すごい人になる必要などまったくない。地位や名誉、すべて捨てたけど幸せしか残らなかった。」と常に伝え続け、また詩にもされ、ずっとそのことを発信されてこられましたが、それはすべてが一体の世界の中、分離感を強めてしまってはならないからだということが最近つくづく、お話を聞いていて、感じています…。

そのあたりのことをお聞かせいただけないでしょうか。


MARTH:

たしかに、若き日はニューエイジというのでしょうか、精神世界、またはセミナーの世界というのでしょうか、スピリチュアルなセッションやワークショップに明け暮れ、その本質をずっと突き詰めたいと願ってきました…。

父が、ある意味そのような方向性の人でしたので、社会や世の中をどうしたら良くできるのかという問題に真剣に取り組み続ける日々であった気がします。青春の“時”…あの頃は、そのような想いで一杯で…今ではつくづくそう感じます。

20代は、瞑想やヨガ的な世界の中、また、自分を観るという気づきのセミナーのトレーナーにもなり、トランスフォームのリーダーシップをとっていました。そのような中から常に一番感じたことというのは、“違い”ということであったのです…。

参加者の方も10万人をこえていました。また自分が参加者であった頃の仲間たちも沢山おりました。分離社会の対立の価値観の中、譲れずに苦しむ友たちみなに、幸せに生きてほしいと願い、取り組む中で、みなとある価値観が大きく違っているということに気がつきました。それは実は、親の教育のことです…。


私の家では、人に勝っちゃいけないし、良くなっちゃいけないし、まさってはいけない。抜きに出たり、人を押しのけたり、偉くなってはいけない。すごくなってはいけないというような、現代では変わった価値観とも言えるような在り方の父でした。それにより、私は大変安らぎを得ることができていたようなのです。みなのシェアーを聞くたびにその違いを感じていました。

その父の価値観は、そのような仕事柄だからではないかと当時は想っていたのです。彼は、私が幼少の頃は法務省の法務総合研究所という役所の犯罪心理学や心の研究に携わっていました。そこで、囚人の方たちの回帰の仕事をしていたのです…。やはり、本当は万物すべてが一体の愛の世界の中で、みなが愛しさにくつろいで生きれたらい、現代社会のそのような分離感、自己拡大、対立、そこから競うような自己高揚というのは大きな危険性があるというようにつくづく思っていたようで、私には厳しくそのことを日々、伝えていました。母親も同じ価値観を共有していました。初めは、私はそれが父の仕事柄だとばかり思っていたのですが、おばあちゃんやおじいちゃんまでそうであり、実際は先祖代々そうであっただろうと今では感じています。そしてそれは精神的世界では、良き方向へと導く価値観でありました。



そして、それには、多分一族のどちら側も寺や神社であった先祖の影響のためだったかもしれないとも想うのです…。どちらにしても、彼らはいつもそのことを何より大切だと私に伝えました。

学校でも、また、大人になってからも、友達や、またはその仲間たちや、またニューエイジ、精神世界にいたっても、彼らがこの分離対立の社会の中で、非常に自我で苦しんでいることを強く感じていたのです。みなが、誰もが幸せになるためにはどうしたら良いのか。美しき万物から与えられた、安らいだくつろぎある幸せな生を、すべての人が生きるためにはどうしたら良いのかと、若き日、トレーナーとして突き詰めてゆく時が流れていました。要するに彼らが叱られることは、私と逆さまで、分離を強めて自己を拡大しなければと焦ってしまい、苦しみ、ありのままをむち打つような観念を持っているように思えました。そのことを強く、あの頃感じていたのです…。

セミナーやワークショップでは、みな、ありのままの本当の想いや、小さい時の痛みや悲しみをさらけ出すような空間です。そんな中、親から、または世の中から勝てとか、偉くなれとか、すごくなれとか、人に負けるな、バカにされるな、そうなりたい、勝ちたい、勉強できるようになれ、恥をかくな、見下されてたまるかというような対立の価値観を信じ、生きることとなります。ある意味私の家とは逆さまな分離感的ことを言われて苦しんできた友たちのことを知ります。私は、運動会で一等や勝ってしまうと怒って、見放したのか父は帰りました。

その“差”ということが、20代の頃の、特にニューエイジ界と呼んで良いのか、そのような心の世界でのトレーナーの探求であったと感じます。その人々の分離からくる対立という心のブロックが人々を本来の愛へ戻すことを止めているという印象がとっても強かったのです。

精神的な世界で仲間たちの苦しみや参加されている方々がスピリチュアルの感性の中で、愛やその方の一体で本質への帰還がうまくいかない理由がそこにあるのではないかと私は日々確信してゆきました。トレーナーになってからより強くそれを感じ、やはり、勝て、偉くなれ、すごくなれ、という分離感からくる分離拡大への焦りは、自我の拡大への挫折から焦りや不安を生み、心理的創造は、対立から自我が望めば望むほど至福は消え、つらさは拡大し、望みと逆となってしまうことを突き止めました。そのことは、素晴らしき人々の愛の人生に大きくダメージを与えるとも感じました。その愛しき仲間たちが、精神世界的な愛について、人の本質において、愛しきふるさとへ、幸せへ、万物真我へ帰る美しき旅へ悪影響を与えてしまうのだと感じました。また精神的世界では一体であるほうがよりよく幸せや愛しさ、至福を見つけやすいとも感じ、スピリチュアルな世界では勝つという分離は強きブロックとなってしまい、人生がうまくいかず、幸せで愛しくあるはずの本来の生へ戻りにくくなるのではないかと感じていました。そしてそれは、彼らが望むような素晴らしき人生の方向に向かわないこととなるのです。残念なことに自己高揚、拡大の手法では至福に帰れず、愛もわかず、幸せもこず、苦の中で果てるということを見つけました…。それこそが世界を闇とする要因でもあると感じました。


それゆえに、逆に、勝たなくていい。偉くならなくていいよ。安心し、安らいでいい。すごくならなくてもいいのだよという気づきが増えたときには、誰もが本質である愛へ、一体なる中へスムーズに戻れ、逆に真に良くなり、成功し、豊かとなり、すべてがうまくゆくのだと知りました。その、何もならなくて良いという気づきや、外されてゆく重(おも)り、対立や隔たりのブロックが素晴らしく外されてゆくことを知り、強き分離の中で育った方たちさえも一体性に、愛に楽に回帰してゆくことができるということを知ったのです…。そのような事柄が、自分の中に強く根付きました…。

それが、今のMARTHにも、つくづく現れていると感じます。


おっしゃっていただけたとおり、人類にとって一番大切なことは、幼少時の教育というのでしょうか、小さい時のすべてとひとつなる安心感や安らぎの中に子どもたちを大切に育むこと、一体なる未知で神秘なる世界を伝えることは何より大切であると感じます。

一体性であること、他は自であること、万物すべてが一体であるという気づきをベースとした両親が、すべてがひとつなる万物の世界の中で、勝とうとしなくていい。偉くなることなどない。友だちを、他国の人を、世界中の人を大切にして、すごくなる必要などまったくない。それは自らにとって害なだけだよ。すべてが自我(分離)の野心と逆になってしまう。自らを本当の自己である真我へ帰すために、痛い目にもあわせ、愛は、自らにメッセージする。それより今すぐに戦いをやめて安らぎ、幸せになる方が良い。一体の中で、勝つ必要などないのだよ。他を尊び、愛して良い。他の人々を、友を応援していい。愛していい。そのような真のリアリティーにそぐった気づきをそくするならば、真に繁栄し、至福に包まれ、幸せとなる。そのときこそ、世界は美しく平和にきっとなるのではないかと、今ではつくづく感じます。



それが私のニューエイジ界、また精神世界の中。またセミナー業界。また、この混乱した社会の中で愛を取り戻す本当の方法であり、そのような分離の終焉を試みることこそ、このスピリチュアルな世界でみなが安らぎや至福にいち早く還れる法則であると感じてなりません…。

愛しさに包まれ、至福に包まれて、すべての人が生きれますように…。


MARTH
2020年4月16日


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