古代から伝承される一体性への気づきとは:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

古代から伝承される一体性への気づきとは

MARTH
公開日:2020-04-15 12:40

Q:MARTHさんを見込んで、思いきって、ご質問いたします。

私は、長きに渡り、キリスト教の教師でございました。

今とうとう終わりの時、最後の時に世界がきていると、つくづく感じています。

そこで質問です。ヨハネの黙示録というものがあり、そこにこの世界の最後の時に、世界が悪魔に、悪に滅ぼされ、支配される時、1つの巻物があり、それが7つの封印で閉じてあります。それを解くその鍵、ということでヨハネが涙します。そのときに長老が「泣くでない、ヨハネよ…」と語り、ユダ族の獅子が、ダビデの根であるものが、(それは、ダビデの子孫という意味ですが…)その封印を解き、世界を救うだろうというようになっています。それは一体、何なのであるのか、未だに私にはわかりません…。MARTHさんは、それを聞いてどう思われますか?


MARTH:

先生、すみません、私は、キリスト教のこともよく知らないし、当然日本の民はみなそうですが、キリスト教に入られている方以外は、聖書はあまり読まないでしょう。ですから、私は聖書のことがよくわかりません。その、今おっしゃられたことにわからない部分が多いです…。

ただ、神ということについて、もしその長老の方が神様の言葉を伝えたのだとするなら、私が思うには、わかる範囲の中でお伝えできるとしたら、イザヤさんのことです…。もし、イザヤさんなら「それは和することだ。一体である愛のことだ」と言うのでしょうか…。



そのような気づきが真に人類のものとなれば、すべてを変えることができるでしょう。宗教の方々も、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教、沢山の宗教があり、しかしみなさんが戦い合う必要もありません。愛しみ合って良いでしょう。そのように、この東の地からは見えるのです。


あらゆる人たちが、勝つことは良いことで、勝つことでいいことがある。というように今までは教えられてきてしまった世の中ではなかったのかと、世界を見る時に感じます。

しかし、イザヤさんはそうではありませんでした。

和すること。一体であること。愛であること。安らぎの中、生きることこそが何より大切と伝え続けました。他国や他の人々、また他のグループ。それを尊び愛することが本当の幸せであると伝えたと、和する国、日本で、また、彼の亡くなった淡路の地ではそう伝承されています。

ですから、日本の民は謙虚に生きること。互いに手の親指、小指、人差し指のように、すべてみながつながっていて、すべてが一体なゆえに、自己拡大、自己高揚というものを嫌います。

それが日本の民の深きところにある本当の在り方だと感じます。

それは、きっとヤマトの奥底にある心となったと、感じてなりません。


その背景には、当然古代からのイザヤさんの強き想い、そしてその指導力があったことは間違いないとも感じ、それだけではなく、私はある古き巻物をみたことがありますが、それは日本のもっと古い、超古代のものでした…。

そこには、この世界はすべて神の夢であり、一体であり、すべてのものはその神の想念でできているというように書かれていました…。

そして、それゆえにすべてはひとつで、それを“和”することと伝えています。そして、一体であるゆえに他を滅ぼしたり、本当は自らを他と勘違いをしたりしたら、万物自然(神)自らより手痛いメッセージが来るというようにその巻物には書かれていました。

日本の人の心には深く、たぶん、バチが当たるような生き方はしたくない。問題を起こしたくない。他の人を傷つけたり、まさったりしたくないという誠実な想いがあるのではないかと感じます…。

私も子どものときから、祖父や祖母。父や母に、とことんそのことを伝えられました。自分の子どもを可愛がるな。他の人々の子どもこそ、また他の人々、またすべての民を尊び大切にするのだ。というように習いました。


それゆえにか、自らはあまり可愛がってもらえなかったような気もしますが、それでも彼らを尊敬し、愛していました。


そのような日本の和することを大切にする想いというものは、もしかしたら今世界中の人が真に欲しているもののようにも感じます。

ですから、今先生がご質問してくださったので、あえて言うなら、神が望んでいるのは平和であり、愛であり、幸せであり、みなの至福であるなら、それは決して勝つことではありません…。

ボクシングでも、プロレスでも、スポーツの試合でも、勝つ人がやった~勝った~としても、そこには幸せではないのです。

人に勝る。自己(エゴ)の拡大、自己(エゴ)主張。一体物に勝る。一体物に勝つ、一体物をいじめたり、やっつけるということこそが、自らが本当に苦しくなってしまうことであるのです。そのことを、日本の民はつくづく深きところで感じていることでしょう…。



日本の、いやイザヤ氏の民で、もしないのなら、そう生きないかもしれませんが、日本の民はつくづくそのように育っているのです。

他を傷つけたり、他を苦しめることは絶対にあってはならない。他は自らであるゆえに、他を尊ぶ。他を愛しむ。なぜなら他こそ自らであり、他を愛するものは、自らを美しく育てる。そして本当の幸せを得ると…。

それが、日本の心であり、建国からの父であるイザヤさんの心であるのだと感じます。

多分、それは古代のユダヤの人たちの本当の心であり、そのユダ族というところの方々の、またその先祖であるダビデさんという方の、またイエス氏の本当の深き想いなのではないかと、つくづく感じます…。

MARTH
2020年4月15日

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