妄想からの自由 人類は本来一体の世界そのもので、 自由である:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

妄想からの自由 人類は本来一体の世界そのもので、 自由である

MARTH
公開日:2020-02-23 13:25

Q: MARTHさん、世界は大変なことになっています。パンデミック、食糧難、経済封鎖、また、悪しき人々からの人類への攻撃、支配、私は怖くて仕方がないのです。私たち人類はどうしたらよいのでしょう。


MARTH:いつもお話しているように、この世界は一体の世界なのです。それは原子レベル、素粒子レベルのことです…。分子レベルでは分かたれて見えても、その分子のすべてが、素粒子と私たちが呼ぶ未知なるもので出来ています…。それらは、一体のファミリーなのです。いや、ファミリーでもない、完全な一体物なのです…。ですから、どんなに、それが例えば宇宙人がどうしたとか、コンピューターA.Iがどうしたとかという問題ではなく、それら機械と見える分子も、そのすべてが一体なのです…。一体、言ってみれば愛で出来ているのです…。ですから、分離の生き方をしてそれらが成功するとは思えません…。万物の神の、愛の(素粒子の集合が)現れが分離の激しい価値観の自らを許さないことでしょう…。


そして、もうひとつの恐れの問題ですが…。あらゆる恐れがあります。勝てない、偉くなれない、バカにされる、笑われる、やっつけられる、怒られる、人間は、どのように自我の恐れと付き合ったら良いのでしょう…。

大切なことは、それでもなお真実は、あなたがいつでも自由であるということです。あなたの本質は元から一体(愛)の、本当の質の自己というものを持っています…。

これは万物そのものと一体なのです…。その大きな自己、大我、または真我、神と呼んでも良いのですが、その視座という時点から見たら、あなたはいつでも、どこでも、本当は自由なのです…。


ではなぜ自由に感じない、恐れがあるのかといえば、自我、偽りの自己、要は分離しているという妄想の自己が怯えているのです…。妄想の自己、偽りの自分、それが恐れています。そしてそれは分離の価値観から生まれた自我であり、実体ではないのです。真実ではないので、あなたは本当は自由なのです。あなたはその偽りの自己、またはこの分子レベル、また五感、また名称付け等々による分離文明や社会、そこから習ってきた反応をする必要が本当はないのです。悩んだり、苦しんだりする必要も、本当は無我であればいらないことなのです。あなたは本当は、いつでも囚われを選ばずに生きることが可能な自由な存在なのです…。

あなたは本来一体の世界そのもので、要は私(自我)などいないのです。それゆえ、いつでも自分の恐れを扱うことができ、真の自由のキーを手にしているのです。真の自己は万物全体なのです。この星に生まれて、またこの分離の社会の中で自我を形成しました。これは作り事にすぎないのです。


いつまでも永遠に素粒子であり、それは未知で神秘であり、一体であり、永遠なる万物(創造の主体の夢のような世界そのもの)そのものなのです。

ですからあなたは、その反応を、あえて受け入れなくても良いのです。“こう反応しなくてはいけない”、“こう感じなくてはいけない”、“こう感じて行動しなくてはいけない”、そのような必要はないのです。あなたは万物、存在そのものなので大きなハート(無我性)でいつでも安らいでよいのです。ですから、この一体の世界では、あなたは物事をネガティブに感じる必要もないし、そのように思う必要もないのです。そのように偽りの自己が言ってきたとしても、それでもなおあなたは万物であり、無我であり、大我であり、真我なのです。ゆえにとわに自由なのです。


それはまるで自分で刑務所に入って、自分で鍵を閉めて、鍵を持っているようなものなのです。あなたは囚われていると思っているかもしれません。自分のことが扱えないと思っているかもしれませんが、それは妄想なのです。いつでもやめてしまうことができます。自我の生存の野心は、大切である場合もありますが、それが本質である愛や安らぎ、至福を止めてしまうこともあるのです。

ゆえに、選択権はいつも自分にあるのです。そのような苦しい、つらい、怖いという感情、そのような想い、そのような思い込みを無我性という真の自己に戻り、捨ててしまうことが出来るのです。

自由自在に輝くことが出来る、そのことを知ることが何よりも大切なのではないでしょうか…。


このようなことをもっと深くお伝えしたいのですが、もっと深く伝えるには、クローズされた空間でないと、お伝えできないことが沢山あります。それではまたお会いしましょう…。

MARTH
2020年2月22日


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