自我は良くするものでなく、本質に帰るものなのです…:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

自我は良くするものでなく、本質に帰るものなのです…

MARTH
公開日:2019-09-03 11:47

Q:ニューエイジの世界では、悟るとか、覚醒するとかということがもてはやされています。MARTHさんは、それを否定するような発言をたまになされるような気がするのですが、どういうことでしょうか。


MARTH:無我とか、覚醒、悟りというのは、自我が何かになることではないのです…。本当の本質に戻る、本来の素粒子の海に戻るということなのです…。

何か自我が特別なものになるという意味ではありません。どんな自我も消えてしまえば…要は、自我を失えば、私などないことに気づき、自我が終焉すれば、本当の自らに本来の質に戻るのです…。

本質は誰でも愛です。それは素粒子の海は、すべてが同じもので出来ている一体の海だからです…すべてが一体の世界の中、宇宙のすべて、万物のすべてが、神の夢、愛の夢のような素材で出来ていて、私たちはその部分に過ぎないという意味でもあるのです。

ですから、どんなに自己拡大や自己保全をしようが、とわに誰もが万物の一部で、その愛の公務員に過ぎないのだといえ、あらゆる人が、またあらゆるものが、森羅万象の愛の公務員に過ぎないといえるのです…。ですから、自我が何かになる、覚醒する、悟る、ということではありません…。自我がなくなって、いや気づいて初めて一体に戻る、愛しき本当のふるさとに戻る、本質に戻るということにほかなりません…。


ですから、昔から真の賢者達は、自我の終焉、ノーマインド、私など存在しないと、伝え続けてきたのです…。

MARTH

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