Q & A いじめられても愛で生きること:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

Q & A いじめられても愛で生きること

MARTH
公開日:2019-06-24 13:26


Q:MARTHさんにお聞きしたいのですが、私は子供の頃、学校でいじめられっ子で、何か自信を失い、劣等することが多い、そんな日々になってしまいました。どうしたら、MARTHさんがおっしゃるように明るく楽しく生きれるのでしょうか。


MARTH:まず今のご質問なのですが、いじめられたということは何の問題があるのでしょうか。私にはあまりよくわかりません…。いじめた人は罪になります。電子の軌道は劣化することでしょう。それゆえに愛も失います。しかし、いじめられた人は「された方」であり、「した方」ではないのですから、その時点では何の罪もなく、何の電子も失いません。要は愛は失われないのです…。それでは何の問題があるのでしょうか。問題は、それによってネガティブになったということではないでしょうか。ネガティブになったら、分離感の強さの中で、美しき軌道を描く電子を失います。いじめられたうえに、電子まで失う、それは、なんという悲しみでしょう。いじめられても明るく、差別されても、馬鹿にされても、やっつけられても楽しく幸せに生きれば美しき電子は失いません。そのことを気づいていたらどうでしょうか。

どんなときに愛を失い、電子を失うのか…イエスは、刺されて殺されているときも電子を失わなかったです。誰のことも恨まなかったし、やっつけることもしませんでした。彼はやっつけられただけです。殺されただけです。何の罪もありません。

しかし、恨んだりやっつけたりしたら、悪くなった人の片棒を担いだりしたら、自分の美しき電子を失ってしまいます。

イエスが殺されているのに、それを見過ごしたり、世の中が怖いから腐敗した人の手下になり、言うことをきき、
うまいこと生きたと信じている方たちはみな永遠なる愛の電子を失います。すべては電子で出来ていて、電子は正しい軌道であれば永遠なのです。しかし、一体性で生きなければ、その永遠なる一体性である愛を失います。しかし、イエスは失ったでしょうか。何の攻撃もしない、愛し、許していた…。電子の永遠性はそのままです。美しいままです。そこに何の問題があるのでしょう…。その人は素晴らしい、その人の永遠性という運は、その人の美しさは、電子体は、エーテル体は、アストラル体は、いや、なんと呼んでも良いのですが、その人の電子は、素粒子は、全く傷つきません。しかし、ネガティブな中には、電子は軌道を失います…。そのことを深く理解したらどうでしょうか。

それでもなお、いじめられた上にネガティブになって、ダブルパンチとなる必要があるのでしょうか。そのことにぜひ気づいてみてください…。そのような損をする必要はないのです。馬鹿にされた、いじめられた、やっつけられた、殺された、それだけで傷は十分です。でも、電子は傷ついていません。愛で生きるなら、電子は傷つきません。愛は傷つきません。神聖さは傷つきません。美しさは傷つかないのです。あなたの本当の実態である、電子である永遠の命は傷つかないのです…。得なだけなのです。あなたは運がいいだけなのです。あなたがもし、運が悪くなるとすれば、そこで戦ったり、悪くなってしまったからなのです。あなたの神聖さや美しさ、愛が劣化したからです。それだけのことなのです…。ですから、人のせいでダメになったりしないのです。

ダメになるときはいつも自分の選択の問題です。自分が愛を失い、愛の電子を失ったからです。そうではないでしょうか…。

そして、あなたは私の言うことを信じる必要など、まったくないのです。調べてみる価値があるかだけの選択です…。

MARTH
2019年6月24日

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