Q & A 宗教性とは:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

Q & A 宗教性とは

MARTH
公開日:2019-05-06 20:57


Q: 私は、宗教に入っています。MARTHさんは宗教にも興味が無い、宗教性の中では団体といった分離は、きっと問題を生んでしまうだろう、というようなことを伝えられていたように想うのですが、それは一体どういう意味なのでしょう。


MARTH:

宗教性とはとても尊いことです。ニューエイジ、精神世界、宗教、すべては一体であることを追求してゆくものです。この世界の真実や本質、愛、神聖さ、一体でワンネスであるという美しいことを学び、成長する場所であることでしょう…。そこになんの問題もありません…。

しかし、そこで分離感を持つ可能性のある団体といったものを創ったならば、それが宗教であろうが、ニューエイジであろうが、精神世界であろうが、もしそこに、分離という手法で団体が出来たとしたらどうでしょう…。愛は、愛しさは台無しになる可能性が生まれます。他となった人々とライバルとなり、戦いとなってしまうのではないでしょうか。私は、そのことが問題であると言っただけです。

ですから、もしそのようになにかの団体に属すことになったならば、決して自らの団体の味方をするばかりではなくて、他の人々を愛し、他の人々を尊敬し、他の人々を敬い、他の団体の人々を愛することです…。

それが出来て初めて、自らの団体、自らの家族、自らの組織が守られ、美しく繁栄することでしょう…。

そうしなければ団体は分離を生み、戦いを生み、そこから争い合いが生まれ、そのことで大変な苦しみが生まれることでしょう…。

せっかくの美しき一体への気づきを学び、愛や本質、神々しい素晴らしさを、そして愛しさを、神聖さを習っているのに、他の団体の方たちと戦ったり、けなしたり、悪口を言い合うようなことになって、愛を、一体性を失ってはならないのです。そのようにならないように、必死に改善することがとても大切です。

ですから、既存社会の分離感のなかで、ケンカや闘争、戦いを持って、精神世界や宗教の世界に入っていってはならないのではないかと、いつも同胞の方々のことが気がかりです。戦いで苦しんでないか、疲れ切ってないかと…。精神の世界は一体を学ぶ、愛を学ぶ尊い場所です。神聖さの美しさを学ぶ場所に他なりません。

だからこそ、その戦いや分離、自我を持ってそこに入ってはならないのです…。自我の妄想を、分離を終えるためにこそ、人はその道へ進むのです…。

MARTH
2019年5月6日

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